【王女の男】ネタバレ結末!感動の最終回まで見終わった感想

韓国ドラマ「王女の男」を最終回までご覧になった方、どんな感想を持たれたでしょうか?
私も大好きな作品で何度か繰り返し視聴しているのですが、本当に切なくて何度涙したことかわかりません。

現代劇でも復讐をテーマにしたものはありますが、どこかで「こんなことありえない」と一歩引いてみていることもあるのですが、時代劇は政権争いや兄弟でも殺しあったり、身分や政略結婚など思うような結婚や恋愛が出来ない、親に逆らえない…そんな時代背景もあり、いつの間にかどっぷりとその作品の世界にハマってしまい、見終わった後もしばらく抜け出せなくなります。

朝鮮王朝版ロミオとジュリエット的な「王女の男」の最終回を終え、ユンスとセリョンは数々の試練を乗り越えて幸せになれたのか、スンユの首陽大君への復讐はどうなったのか…などを振り返ってみたいと思います。

このページでは最終回のネタバレも含まれていますので、まだ最終回をご覧になっていない方はくれぐれもご注意くださいね。

「王女の男」ネタバレ結末 最終回までを見終わった感想

「完璧朝鮮男子」と「ダーク・スンユ」どっちも魅力的

初登場シーンは、妓生につけられたキスマークを頬と首に残したまま妓楼から宗学に講師として向かうひょうひょうとした世渡り上手な良家の子息…というイメージです。

穏やかで艶やかなその姿は完璧な朝鮮男子…略して「完朝男」と呼ばれましたが首陽大君の策略で窮地に陥り、愛する父や家族を殺され復讐の鬼と化し、愛するセリョンの首も締め上げる狂気じみた鋭い視線のスンユは「ダーク・スンユ」として二つのスンユが視聴者の間でも話題になりました。

個人的にはふわっと生きていた前半よりも、愛する人と復讐の間でもがき苦しむスンユはとても魅力的でどんどん引き込まれていきました。最後のスンユのまなざしも穏やかでしたが、それは最初の穏やかさとは全然別ものに感じました。

スンユとセリョンのモデルは誰?

1453年10月10日に首陽大君が起こしたクーデター癸酉靖難(ケユジョンナン)という史実を舞台に架空のラブストーリーを重ねた作品です。カテゴリとしてはフュージョン時代劇ですが、首陽大君や文宗、端宗、キム・ジョンソ、シン・ミョンやチョン・ジョン・・・多くの重臣たちも実在の人物です。主人公のスンユとセリョンは架空の人物ですが、2人にもモデルになった人物がいます。

「錦渓執談」という1873年に発表された巷に伝わる伝承をもとに書かれた説話の中にある「血と涙が絡み合う、けなげな縁」という説話にでてくる世祖の娘と対立するキム・ジョンソの孫が二人がモチーフになっています。
世祖の時代から400年後に書かれた説話で描かれている人物は史実にも残されてはいますが、特に世祖の娘は記述も少なくすべては確認できないそうです。

架空とはいえ、モデルがいて実際の事件、人物が多く出てくるからこそフュージョン時代劇の魅力でもある今の私たちの感情とつながる「切なさ」と伝統時代劇の「重さ」の両方を楽しめる作品になっているんですね。
機会があれば「錦渓執談」を読んでみたいと思いました。

セリョンの魅力。時代劇には珍しい女性像

スンユ同様、セリョンも最初の頃は、止められてもケガをしても馬に乗りたいと親の目を盗んでは乗馬に挑戦したり、いとこの敬恵王女と仲良くいたずらを考えたりするお嬢さんですが、その好奇心や頑固さはスンユに背中を向けられても父親に歯向かってでも揺るがない強さに変わっていきましたね。

ふたりの味方であるチョ・ソクチュも二人のことを「頑固な男に頑固な女だ」と表現していました。今の時代でしたら親に歯向かったり交際を反対されても押し通すのはありがちな話ですが、その時代は一つ間違えれば直接「命」にも関わる選択でした。

そんななか必死の形相で命をかけて愛するスンユを守ろうと、暴走する父を止めようと奮闘するセリョンは、いつの間にか私の心をとらえて離さなくなりました。

妹も弟も順応で決められ道を進むタイプなので、父親である首陽大君の性格を思うと父親に一番似ているのはセリョンだったのではないかと思います。だからこそ、憎しみ合った仲でも首陽大君も娘を失ったことを後悔し、忘れることができなかったのだと思います。

スンユの親友、シン・ミョンの壮絶な最期

結局、スンユもセリョンも敬恵王女夫婦も親世代の権力争いや派閥に自分の意思とは関係なく巻き込まれ運命に翻弄されていきますが、もう一人スンユの親友のシン・ミョンも忘れてはいけません。

スンユとチョン・ジョンと親友だった彼は、父親が首陽大君側に付いたため父に従い親友二人と敵対する立場になってしまいます。結局彼はセリョンにも思いを寄せますが、叶うことなく「思うように生きられなかった」人物です。

親友に手をかけ、最後はスンユとも刃を交わすことになりますが、味方からの矢を受けたシン・ミョン、かばうスンユ。二人ともお互いにどうすることも出来ずにここまで来た、友情が失われたわけではないことを理解していましたね。

チョン・ジョンも自分を陥れたシン・ミョンに対して「憎んだが嫌いではない」と言い残します。仲良く酔うほどにお酒を酌み交わしていた3人を思うと切なく、現代に生きる私としては「親は息子たちの気持ちを少しは考えなかったのか」と思ってしまいます。

究極の愛は「生きるも死ぬも共にすること」

数々の運命を乗り越え、愛する周りの人たちを次々に失った二人が最後に行きついて出した答えは「共にする」ということでしたね。
スンユを助けるために命を投げ出そうとしたセリョンの無償の愛も、危険を顧みず宮廷にセリョンを奪い返しに行ったスンユも愛ゆえの行動でしたが、そんな二人が出した答えは…そのまだ先にありました。

復讐に失敗し捕らえられ、牢に入れられたスンユ。傷だらけで今にも息絶えようとするスンユを助ける術を母や敬恵王女から提案されているのにも関わらず、スンユのこれまでを思い「最後はお望みどおりに」と意思を尊重します。

「生まれ変わっても忘れないで欲しい」と言い残すスンユに、共に逝くことを選んだセリョン「一緒に参ります」と横たわる牢の中のシーンは、最悪な状況に見えつつも二人の表情がとても穏やかだったのが印象的した。

情は何であろうかと世間に問うてみる
私は答える
我らにとって
何をためらうことなく
生と死を共に許しあう事
これこそが情だと

とラストシーンで語られます。恋と愛の違いは「恋は求め合うもので愛は見返りを求めないこと」だとよく言いますが、この二人はその先まで悟ったんですよね。自分だったらどうだろうかと自問してしまいました。
皆様はいかがですか?

まとめ

 

いかがだったでしょうか?「王女の男」最終回を見終わっての見どころと感想は

  • 「完璧朝鮮男子」と「ダーク・スンユ」どっちも魅力的
  • スンユとセリョンのモデルは誰?
  • セリョンの魅力。時代劇には珍しい女性像
  • スンユの親友、シン・ミョンの壮絶な最期
  • 究極の愛は「生きるも死ぬも共にすること」

の5つを挙げてみました。

胸を締め付けられるシーンが多く、気づくと息が浅くなっていた回も多かったです。
ラスト3分の特に首陽大君のまなざしにも深く心打たれてしまいました。次々と反対勢力を殺害し、幼い王も手にかけるやり方は卑劣ですが、彼は彼なりに国の将来を考え自分が弱い王、幼すぎる王に変わり、幼いころから文武に優れた自分が力のあるしっかりした王朝にしようとしたのだろうなと思いました。

首陽大君を演じたキム・ヨンチョルは「アイリス」などでもその演技力は知っていましたが、目で演技する素晴らしい俳優さんだと思いました。幼いアガンの愛らしさも周りの悲壮感を和らげる癒しの存在で、作品の中でも大人たちを癒していましたが見ている私も随分と彼女の愛らしさに救われた気がします。

主演のパク・シフが一度はオファーを断るつもりだったところ、あらすじを知って引き込まれ出演を決めたそうです。出演者が4日徹夜したり、落馬をしたり、交通事故でけがをしても撮影を続けた努力の結晶ともいえる作品です。
何度見ても結末を知っているのにまた見てしまう、数々の名作の中でも特別な作品です。

また作品をよりドラマティックに盛り上げたのはペク・チヨンが歌う主題歌をはじめ、素晴らしい曲の数々もぜひチェックしてみてくださいね。
登場人物が多いので一度だけでなく繰り返し見ても毎回発見がある作品です。登場人物それぞれの「なぜその生き方を選んだのか」に焦点をあてて見てみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA